今回の旅では、長崎県北松浦郡の福島(町)、鷹島(町)、平戸市、そして佐世保を廻ります。短期間であちこち廻るので車での旅です。福岡都市高速、西九州自動車道、二丈浜玉道路、国道202号線、県道52号線(山本波多津線)を経て福島大橋に着いた頃には、出発して約2時間近くが経っていました。福島大橋の南側には灯標らしい柱が二本立っていました。
福島港で伊万里港福島灯標を撮影したあと、県道103号線(福島伊万里線)を北上し、金井埼灯台を対岸から撮ることにしました。地図で下調べしてたところでは、陸路で金井埼灯台に続くルートはなさそうですが、鷹島を廻った後、駄目もとで行ける所まで行こうと思っています。でも、念のために対岸からも撮影しておこうと考えたものです。伊万里湾は朝霞みのため灯台の姿もぼやけており、最初の写真はぼんやりしたものでした。この写真は、福島を一周した後、戻ってきて再度撮影したものです。
福島は島中に棚田が広がっています。玄海の海に沈む夕日が土谷の棚田をオレンジ色に染める様子は、福島町のホームページでも見ることができるようですよ。
福島の北端に位置する初埼灯標は、初崎海水浴場のすぐ横に位置しています。初崎海水浴場奥の岩場をちょっと歩くと、初埼灯標の正面にでることができます。比較的楽に辿り付ける灯台でした。夏は海水浴のお客さんで賑わうのでしょうね。
福島を反時計回りに一周して、福島から伊万里平瀬灯標を撮影しようとしたのですが、朝霞みのために灯標の姿がぼやけていたこと、また灯標までの距離が長すぎたことから、肥前町側から再チャレンジすることにしました。一度、福島の西側へ戻って金井埼灯台を再撮影し、福島大橋を戻りました。国道204号線、県道342号線(筒井万賀里川線)を経て、国民宿舎いろは島を目指しました。いろは島「花と冒険の島」の駐車場に車を停め、海岸線にでると正面に伊万里平瀬灯標が見えました。3時に星賀港を出港する松尾フェリー(星賀港~日比港)に間に合うよう、急いで出発です。
出港の約10分前に星賀港に到着しました、セ~フ!。フェリー食堂でチケット(1,600円)を買い急いで乗船しました。乗船後も忙しい!。フェリー上から、肥前宮埼灯台や肥前向島灯台の撮影です。左の写真が肥前宮埼灯台(手前)と肥前向島灯台(奥)のツーショットです。写真撮影の後はおにぎりで昼食です。
鷹島をモンゴル村に向って北上し、貝瀬灯台の撮影ポイントを探します。2万5千分1地形図で下調べしたところでは、モンゴル村の手前西側の海岸線が有望です。下調べした海岸線はモンゴル村の南に位置する白浜海水浴場でした。ちょっと岩場を歩くと、貝瀬灯台の正面にでました。鷹島と対岸の肥前町を繋ぐ橋の工事が進行中でした。あと何年かすれば橋が完成し、鷹島も自由に行き来できる島になるようです。
県道158号線(鷹島線)を南下して船唐津漁港に着き、海岸線に沿って続く未舗装道路を反時計廻る居に進むと、西側に魚固島(おごのしま)が見えてきました。魚固島の北部に立つ魚固島灯台は先端だけが見えています。来た道を殿浦まで戻ります。
殿之浦漁港に接岸した鷹島汽船フェリー・ニューたかしま2です。想像していたよりもはるかに大きなフェリーだったのでびっくりしました。鷹島は「元寇ロマンの島」と紹介されていて、元寇来襲の時は大きな被害を受けたそうですが、今はその歴史を乗り越えモンゴルと姉妹都市を結び、モンゴル村を作っているそうです。
鷹島汽船フェリーの船上から撮影した於手石鼻灯台です。鷹島の地図には「於手石鼻」という記名は記載されていなかったため、鷹島汽船フェリーに問い合わせて場所を確認しておいたものです。実物を視認するまでは不安がありましたが、フェリーが出港するまえから三脚にカメラと望遠レンズをセットし待ち受けて撮影したものです。ここにも釣り人があがっていました。
おなじく鷹島汽船フェリーの船上から撮影した伊万里笠瀬灯標です。まさかここまで釣り人が来ているとは・・・、釣り人、恐るべし!。
今福港に着き、金井埼灯台を目指しました。下調べしたところでは、陸路から灯台に接近できるルートはないのですが、現地へ行けば何らかの手掛かりが見つかるかもしれません。松浦市総合衛生センターの横を通り、岩倉稲荷神社まで行って見ましたが、ここも釣り人がいるだけで、灯台は見えません。また、金井崎へ続くルートも発見できませんでした。残念!、金井埼灯台は陸路から近づくことはできないようです。この後、夕暮れの中を平戸市街まで走り、ビジネスホテルに泊まりました。
2日目も快晴!です。平戸市街の北方に位置する田助港へ行き、2万5千分1地形図で田助港の北側の岬先端に記載されている灯台マークをチェックしました。左の写真がその塔ですが、以前は防波堤?灯台として使用されていたものが、廃止された跡に見えました。
田助港をちょっと南下し、中の原住宅の横を平戸瀬戸に向って進むと、海岸線に二目照射灯が立っていました。二目照射灯から急坂の岩場が海岸線に落ち込んでいるので、撮影場所の選択が難しく、照射灯全体をカバーするポイントを見つけることはできませんでした。ここも海岸線から糸を垂れる釣り客がいました。
田助港をちょっと南下し、中の原住宅の横を平戸瀬戸に向って進むと、海岸線に二目照射灯が立っていました。二目照射灯から急坂の岩場が海岸線に落ち込んでいるので、撮影場所の選択が難しく、照射灯全体をカバーするポイントを見つけることはできませんでした。ここも海岸線から糸を垂れる釣り客がいました。
平戸瀬戸の北口に位置する広瀬には、広瀬灯台と広瀬導流堤灯台が立っています。平戸瀬戸は海上交通の難所と言われ、衝突や乗揚等の海難が多発しています。写真撮影する時も潮が波打って流れていました。この写真は平戸港灯台の横から撮ったものですが、広瀬には多くの釣り客が上陸しており、釣り竿と釣り竿が触れないか、心配になるくらいでした。
平戸港の南側口に立てられている平戸港灯台です。平戸文化センターの横に位置しており、対岸には常燈の鼻があります。この場所からは、広瀬灯台、広瀬導流堤灯台、常燈の鼻、南風埼灯台、平戸牛ヶ首灯台等、多くの灯台を見ることができました。
平戸港灯台の横から撮影した南風埼灯台です。南風埼灯台のうえに見えるのが田平焼罪史跡公園で、そのうえの立物はプチホテルたびらんど(旧名:国民宿舎たびら荘)です。
手前から小田助瀬灯標と南風埼灯台と広瀬導流堤灯台のスリーショットで、平戸大橋下の平戸大橋公園から撮影しました。小田助瀬灯標は大田助瀬灯標と対?で立っていたはずですが、大田助瀬灯標はすでに廃止/撤去されたようです。
これま珍しい!、立て替え中の平戸牛ヶ首灯台です。
左側の小さいほうが現灯台、右側の大きなほう(ビニールカバーが掛かったまま)が新灯台です。新プレートでは、初点は平成16年11月と記されていますが、点燈式ってやるのかな?。
田平天主堂(瀬戸山天主堂)です。こんな田舎に、こんな立派な天主堂があるのには驚きです。信仰の深さを感じましたが・・。
青砂埼灯台への道しるべとなるのが、この外目区公民館です。青砂崎の海岸線には、堤防沿いの道路があるので、青砂崎の海岸線に出れば灯台を見つけることは簡単です。私は肥首バス停の近くから外目方面へ入り、外目区公民館横を通って、海岸線まで下りました。青砂埼灯台を撮影した後、国道204号線に出て佐世保へ向いました。目指すは高後崎灯台と佐世保港弁天島灯台です。
高後崎(岬)の先端近くで見かけた野生の雉です。雉は小さな物音にも驚いて飛び立つくらい臆病な鳥ですが、この雉は人間が居ても全然動じませんでした。いろいろな所を旅して、雉には何回も出会いましたが、写真を撮ることができたのはこれだけです。貴重な一枚で~す。
高後埼灯台を探して辿り付いた海上自衛隊の基地跡です。私は、ここが高後埼灯台跡で灯台は廃止されてしまったと勘違いしたのですが、灯台はもう少し下った場所に立っているようです。ここまで来たのに撮影できなくて残念!、下調べ不足でした。
佐世保港弁天島灯台です。佐世保港(湾)の真中の弁天島に立っています。