鎖国時代、ただ一つ海外へ開かれた港・長崎と江戸を結ぶ街道のうち、九州路を長崎街道と呼びました。
長崎街道は北九州の小倉を起点として飯塚、鳥栖、佐賀を経て長崎に至る57里(約220km)25宿の街道で、最も往来の盛んな街道のひとつでした。最大の難関は「冷水峠」越えで、それに次ぐのが「日見峠」越えでしょうか。
自転車では2日もあれば、ゆっくり走破できる距離ですが、古き良き時代を振り返りながら楽しむには、もう少し時間をかけたほうが良いかもしれません!。
長崎街道の九州の玄関は北九州市小倉北区の「常盤橋」です。下関を船出した旅人は小倉城下の「常盤橋」に上陸し、そこから長崎街道に入ったそうです。「常盤橋」は昔ながらの木の橋として再建され、長崎街道の往来を偲ぶことができます。
「常盤橋」を渡り小倉城を左手に見て室町商店街を進み、大門一丁目交差点を左折して県道296号線を進みます。三条橋交差点を右折すると、新日鉄高見住宅の入口に「三条の国境石」(旧筑前(福岡)領と小倉領の境界石)があります。
「曲里の松並木」には途中に休憩所も整備されています。
「曲里の松並木」を抜けて細い道を進むと、左手に幸神(道中の安全を守る神様)が祭られていますので、ぜひ道中の安全をお願いして下さい。一里塚跡、古街道碑を見ることができます。
小鷺田バス停の先で国道200号線に合流して道なりに進み、引野と小嶺で高速道路をくぐりますが、ここまでは結構アップダウンが続きます。
小嶺ICの先の「小嶺台二丁目交差点」を右折し、坂を登ると右手に「銀杏茶屋」があります。「銀杏茶屋」は立場茶屋で、休憩のための茶屋だったそうです。「銀杏茶屋」の先は急な下りが待っています。
国道200号線へ戻り木屋瀬交差点から右折すると木屋瀬宿へ続く道となり、筑豊電鉄の踏切を渡ると間もなく、木屋瀬宿の東構口跡に着きます。
木屋瀬宿はきれいに整備された宿場跡です。見所がたくさんありますので案内板等を参照しながらゆっくりと見物していってください。
木屋瀬宿の西構口を出ると、昔は唐津街道と長崎街道の追分石があったそうですが、その追分石は今は郷土資料館の入口に移設されています。西構口を出て堤防の道(県道73号線)を進み、日の出大橋を右折すると直方市街です。
直方市街をJR線沿いに進み、多賀神社、直方城址を右手にみながら国道200号線に合流します。JR小竹駅を過ぎて小竹町役場の先から右手の細い道に入っていきます。まもなく、地蔵堂、鞍手郡境石があります。そのまま進み再度国道200号線に合流します。
内野宿の手前の横山バス停の手前を右折し旧道へ入ります。旧道を進みJR筑前内野駅前を過ぎると、北構口跡を始めとして脇本陣薩摩屋、小倉屋、長崎屋が道の両脇に続きます。薩摩屋の前を右折すると、えびす・参道碑があり、この道は大宰府へ続く旧道です。内野宿も長崎街道の面影を濃く残しています。
そのまま進み国道200号線に合流します。旧道は冷水道路(冷水バイパス)の入口を過ぎて冷水橋の手前を右折しますが、自転車は通行不可のため国道200号線を直進し冷水峠を登ります。冷水峠は交通量(ダンプカー)も多いので、車に注意して上ってください。
冷水峠を下りJR筑豊本線の踏切を渡ると、すぐ左手に山家宿の東構口跡があります。右手に大庄屋近藤家跡を見て更に進み、山家郵便局から右折すると、郡屋敷跡をはじめとする宿跡の中心です。山家宿のみどころは西構口跡です。西溝口跡を過ぎて国道200号線へ戻ります。薩摩街道はここで長崎街道から分岐し、「石櫃」で日田街道と分かれて「松崎」、「府中(久留米)」を経由して羽犬塚宿へと向かいます。長崎街道は豊満川に掛かる下見橋を渡り、JR筑紫駅を過ぎます。国道3号線に入り筑紫野バイパス北交差点を直進し、筑紫神社前を進みます。残念ながら、JR原田駅周辺は開発が進み、原田宿の面影はほとんど見出すことはができません。
JR原田駅駅を過ぎてすぐに国道3号線に合流します。「アクアフォーレ」の前の道路両脇に国境石がありますが、ここが筑前(福岡)と筑後(筑後地方)の境でした(今も福岡県と佐賀県の県境です)。
更に国道3号線を進み、JR基山駅のすぐ先を右折し、すぐに左折して細い道に入ります。実島橋を渡って川沿いに進み、高島橋を渡ると間もなく旧街道の細い道になります。
しばらく走り長崎自動車道をくぐると間もなく田代宿です。田代宿の入口には「田代昌町追分石」がありますが、これは「小倉」と「英彦山」の追分石です。
佐賀県では古い宿場跡が大切に保存され、案内図(コンクリート作り)も整備されています。案内図を確認しながら進めば、間違うことはありません。
伊藤酒店を右折したところから、田代宿の中心が始まります。伝・代官所通用門、八坂神社(八坂神社の前には田代宿の案内図(コンクリート作り)がありますので、休憩しながらルートを確認して下さい)、代官所跡を右に見て高札場跡を左折します。
田代宿や轟宿は古い道がそのままに残っており、直角に曲がったりしています。轟宿を出ると、すぐに国道34号線を横断します(鳥栖市轟木町交差点)。安良川を渡り「ブリジストンカントリー・ゴルフ場」の中を通り過ぎると、鳥栖市一本松交差点で国道34号線を横断します。
この後、長崎街道は国道34号線と合流したり離れたりして進みます。
国道34号線に合流して進み、北茂安町白石交差点を右方面に進むと、すぐに中原宿です。中原宿は祇園社のすぐ先に旅篭跡の民家を残すだけです。
国道34号線に合流して進み、苔野交差点を右折し本戦橋を渡ります。本戦橋を渡って道なりに進むと、田手の右道路沿いに「背振追分石」があります。
追分石を過ぎると道なりに左折すると、すぐに広円橋です。その先に「ひのはしら一里塚」があります。
まもなく「神埼宿」です。お茶屋跡、浄光寺を過ぎ、真光寺の前を右折します。土手の手前が神埼宿のはずれです。
「高橋橋」を渡って国道207号線に合流し、しばらく進むと「郷平橋」の手前右側に「別れの松」という松が残っています。
森林公園バス停の先を嘉瀬橋を渡り道なりに左折するカーブの入口に久保田追分石があります。国道207号線を更に進むと牛津宿です。案内板にそって進み国道34号線に合流します。
国道34号線を進み、江北町役場の先を右折した裏道を進むと、小田宿です。小田宿の跡はほとんど残っていません。
小田宿の曲がり角・中島商店前の四つ角を左折し、国道34号線沿いの細い裏道をのんびりと進みます。
道は赤坂の手前でいったん国道34号線と合流し、JR北方駅の先が「武雄・塩田道追分」で、その先を左折すると「塩田道」に入ります。。
北方町役場の先を右折して国道34号線沿いの裏道を進めば,すぐに北方宿です.北方の追分石(たけを-いまり)を左折し,再度国道34号線に合流します。
佐賀県と長崎県の県境には、領境石が佐賀県と長崎県側の両方に設置されています。佐賀県側の領境石は番所跡と一緒に佐賀側の俵坂にあります。佐賀・長崎の県境(俵坂峠)を過ぎた俵坂に長崎側の領境石があります。俵坂という地名が佐賀・長崎の両方にあって紛らわしいのですが、地図にもそのように書かれています。この後は長崎街道と国道34号線の重なりが少ないようです。自転車で長崎街道を辿るのは難しくなり、国道34号線を進むことにしました。
国道34号線を下りきって大村湾を望むとこが彼杵宿です。彼杵川の河口に開けた宿場で、ここから大村湾を海路で進み、長崎の時津へ出るルートもありました。港の周辺には脇本陣や御茶屋があったそうです。
長崎街道は国道34号線沿いに細い道が曲がりくねって進みますが、JR松原駅を過ぎた海側の町(JR大村線、国道34号線、大村湾に囲まれた地区)が松原宿です。松原宿へはJR松原駅の手前で右手(大村湾側)の細い裏道に入っていきます。
JR諫早駅周辺が永昌宿ですが、永昌追分石も「諫早郷土館」に移設されており、宿場跡を見出すことは出来ません。
国道34号線を進めば、東長崎警察署周辺が矢上宿で、長崎水族館の周辺が日見宿です。日見宿を過ぎると、いよいよ長崎街道の最後の難関の日見峠です。道が狭いので車に気をつけて頑張って登って下さい。
日見峠を一気に下れば長崎です。日見峠を下りきった蛍茶屋に一の瀬橋がありますが、これが旧道で、市電の裏通り(シーボルト通り:新大工町商店街)を抜けて行きます。通りの途中から鳴滝方面へ曲がると、「シーボルト邸跡」にいくことができます。また、商店街の途中には中川古橋が架かっています。商店街の途中には「長崎街道ここにはじまる」という碑が立っており、その先は「諏訪神社」の参道の入口となります。
長崎街道は市電の通りを離れて市役所方面へ進み、長崎県庁がゴールとなりますが、中島川沿いを下るといくつかの古い石橋を見ることができます。
蛍茶屋から左折し川沿いに下ってみてください。隠れた観光ポイントです。最後の石橋が有名な「長崎眼鏡橋」です。ゆっくりと休憩できるポイントですので、腰を落ち着けて楽しんでください。
そのまま川沿いに下って行くと「出島オランダ商館跡」に着きます。これで長崎街道の旅も終わりです。
ばんざーい!。\(^-^)/.お疲れさまでした!。
この道中案内記を作成するにあたり、参考にした文献は以下のとおりです。もっと詳しく知りたい方はこれらの本を読んでください。特に「河島悦子」さんの本は、長崎街道を地図入りで詳細に案内してくれますよ!。
・伊能図で甦る古の夢。長崎街道(河島悦子著、ゼンリンプリンテックス)
・つれづれ歩み旅。長崎街道紀行(池田隆著、近代文藝社)
・日本の街道ハンドブック(稲垣史生監修、三省堂)
・筑前の街道(近藤典ニ著、西日本選書)
・福岡県文化百選。道編(西日本新聞社)
・福岡県の歴史散歩(山川出版社)